散歩をしよう、そうしよう。なんせ散歩は楽しい。自宅と会社の往復では到底見ないような家、壁、道、看板、標識、街灯、遊具、植物、観察に事欠かない。被写体も無限大。
まあ、ただ、散歩は夜のほうが楽しい。ほどよい背徳感が手招きし、冒険心が満たされる。が、いかんせん夜は暗いのでよく見えないし危ない。昼間の散歩のほうが良いときもある。なんてったってちゃんと見えるわけだから。
じゃあ、昼間に漫ろ歩くとしよう。ぶれない、光源が伸びて光線にならない写真が撮りたいからね。すると、絶対に目につく二つのハイカラなシロモノが。
そう、透かしブロックと型板ガラスである。
定義や説明はもっともっと有識なかたのあれこれに綴られているので、わたしがこれまでのお出かけで見つけたコレクションを展示するにとどめたいと思う。キャプションで喋りすぎないように。

透かしブロック
長年お茶の間で流れている国民的アニメにも、令和のスマホ漫画にも、「日本の住宅街」のシーンがあれば必ず出てくる。透かしブロックのある日本の住宅街の原風景が素敵すぎた! である(ではない)。
色々な形があり、コンクリをよくそこまで穴抜きにできますねと感心してしまう芸術点高めのデザインも多いが、そのぶん強度に疑問が出るのは当然で、昨今の塀ではまったく使われないのも頷ける。街中で見かけてもけっこう割れていたり鉄板で補強されていたりする。
一番オーソドックスなのは青海波またはみやま。波または山みっつのデザインで、これはちゃんと名前も憶えている。二次元作品に出てくるのもほぼこれだと思う。頭でっかちだったりてっぺんにバリがついていたりとディテールの差分はいくらかあるが、比較的色々な地域に分布している気がする。


暗渠――かつての水路である――にもよくいる。なんせ本来は開いてなくともなんら困らない空間なもんだから、傘かけになったり鉢植えになったり屑入れになったりもする。




みやま以外の名前は大体知らない。歯車――これはのちのち源氏車だと認識したのだが――クロワッサン、リボン、いちょう、バナナ、きらきらなど勝手に愛称をつけて脳内で呼んでいる。世にも珍しい、2マス分で1個、正方形の透かしブロックもたまに見る。推しはみやまとちょっとだけ違う、またはみやまの個体差なのかもしれないが、お花の上半分みたいな子。いつか山陰地方にあるという、松・竹・梅がひと塀に揃っているおめでたい透かしズに出くわしてみたい。

家にもいる。ガチャガチャの透かしブロックである。

型板ガラス
ここでいう型板ガラスはバリエーション豊富な昭和産のもの。製造事情的にもう生産されていない、植物や動物やを模した、透明でも彩り豊かな彼らのことを指す。窓が大きくてカメラのついていないインタホンを持ついかにも昭和然とした戸建てや、オートロックでないのに引き戸の入口から出入りする、「〇〇荘」と表札が構えてありそうないかにも昭和然とした集合住宅によくいらっしゃる。
単なるいち硝子のくせ、版画のような奥行きが、彫刻のような凹凸が、カーテンを閉めた部屋側からは見えないにも関わらず、ふんだんに表現されている。

透かしブロックがひと続きの塀区切りだとすれば、お隣さんと共用で同じ職人さんが施工を担当し、町内や地区で色が出やすいのに対し、型板ガラスはそこまで地域差がないように思う。お隣さんよりも狭い、自分家の居間と寝室で、なんならひとつの引き戸の中でも、異なるモチーフが敷き詰められていることもある。鉄や木の枠組み中で、異なる曲線ごとに煌めくさまはさながらクッキー缶。
型板ガラスが当たり前に普及していた時代、よそ様のお宅をちらと見やっては「あらなんて素敵な田毎柄」「其方の雲井柄もお綺麗です事」などと飛び交っていたのだろうか。だってかわいいもの。どうやったっていち窓では片づけられない。どうやっても暮らしに彩りを添えている。




柄の名前もてな具合に粋で、大抵の模様は見たら言えるようになった。上からサーキット、アラビヤン、さくら、らんまん、クローバ、いちょう。推しは銀河。ネイルのモチーフにしたこともある。カメラには捉えられないほどに、非常に薄くて淡くて儚い爪になった。


実家は築50年超の木造2階建てで、実家にもいた。つたと古都。

もちろんこちらも家にいる。思い出の型板ガラスを再利用して食器やアクセサリィにしているハンドメイド作家さんがいらっしゃりご贔屓にさせていただいている。

つまりは、ぼうとしながら歩いていたって目で追ってしまっているのだから、ときめくものに違いないと。先日こちらの記事をもとにおえかきした際にも、ぱっと思いついたのが透かしブロックと型板ガラスだった。

夏休みの絵日記ばりの感想垂れ流しで結局長くなってしまったが、なんの気なしに散歩したらそりゃ、だらだら間延びもするってもんなので、ご愛敬ということで。
