日記は遠い誰かをまるで、知り合いのようにしてくれると私は思う。


4月17日。
春の空気が窓から吹き込んでくる。このにおいをかぐと、出会いや別れ、過去を懐かしむ記憶が湧き上がってくる。
僕も例外ではなくふと、ある過去の記憶を思いだした。賑やかな声と鮮やかな色が広がるあの場所。
そう、駄菓子屋だ。久しぶりに駄菓子屋に来た。

鼻の奥を突くような強いたばこのにおい。
店内の風景に似つかわしくない華やかなアーケードゲームの音楽。
あたり確率などはなから無いような抽選付きのガチャガチャ。
どれをとっても、どこを見渡しても懐かしいにおいと空気を感じる。

店内を見渡すと変わることのない景色が広がっていた。色褪せない記憶とあの頃の騒がしい声が何度も頭の中で回り続ける。
ぐるりと一周お店を回ってみる。当時感じていた広さが狭さになり時の流れを感じた。
少しさみしい。

早速お菓子の物色を始める。
当時はまるでこの世界のワクワクのすべてがそこで買えるとまで思っていた。
なにか綺麗なものを判別するような器官が著しく衰えてしまったのだろうか。当時ほどの魅力は感じることができない。
しかし、色とりどりの駄菓子たちは子供たちに楽しんでもらおうと躍起になっていて、その子供たちに向けられた全力の気持ち、その気概が僕をワクワクさせた。
当時にはなかった感情だ。

壁に掛けられたたくさんのおもちゃ。当時の僕たちには掛け軸の何倍もの価値がそこにはあった。
慎重に吟味し、お気に入りの1つを選ぶ。さながらおもちゃ会社のCEO気取りだ。
今の僕が選んだのは、飛行機のおもちゃ。
川に落としてひとしきりに泣いたあの頃をふと思い出したからだ。


昔は少ないお小遣いで必死にやりくりしていたが、その制限がなくなった今、解放感でついつい買いすぎてしまう。
当時のそれとはまた異なる緊張感だ。

店内の端に置いてあるアーケードゲーム。
当時ゲームを買ってもらえなかった僕にとってこれはみんなと話題を共有できる唯一のゲームだった。だからこそ必死になって毎日通いつめたものだ。
そのゲームはあのときのままで、子供のように、無邪気に僕を引き寄せてくれた。


青空と瓶のコーラ、そして懐かしい記憶。なんて美しいコントラストだろうか。まるで美術品のような、手の届かない美しさをしている。
当時はなぜそれを感じなかったのだろう。それもそうか。当時はその美しさを構成している張本人だったのだ。美術品の作者は自分の作品に手が届かないなんて思わないだろう。
春の風が体を抜ける。

せっかく買ったんだ。飛行機のおもちゃを公園で遊んでみよう。

甘い香りと少し苦手な花の匂い。

寂し気なカラスの声と散歩中の人々の話し声。

夢中だ。僕は夢中になっていた。

ただ文字や映像で懐かしむのではない。
僕はこの口、耳、鼻、目、心、体をもって、全身全霊で懐かしんでいるのだ。

あぁ、これか。
懐かしい。
なんて満ち足りているのだろうか。

今日は素晴らしい日だった。





今日私は一日、一人で日記の彼の動向を真似てみた。
この日記は道端で拾ったもので、私のものではない。驚いたことに、日付に目を向けてみると2015年の4月17日。10年前の記録だった。
しかし、私は今日、間違いなく日記の中の彼と同じ時を過ごしていた。


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