え:エルダーフラワーの夜/Good night,ELDERFLOWER

カテゴリーなし

大学生の頃、金髪にしていた時期があった。
社会に出たらできないのだから、人生の夏休みのうちにやるべきと考えたのだ。今は派手髪文化もある程度浸透し、施術してくれる場所も、セルフカラーの道具も揃っている。インナカラーやイヤリングカラーなどとカテゴライズされ、いち部分だけ脱色されていても、ムラではなくお洒落認定される、素敵な世になった。当時は諸々未実装だったので、美容院でのブリーチ後に市販のカラー剤やらカラーバタなど買い込んで、百円ショップのポリ手袋をして髪の毛で泥遊びをしたものだった。どんどん蛋白質たんぱくしつが切り離され、およそ重さと呼べるようなものが、全くと言っていいほど、なかった。振り向いたらワンテンポ遅れて頭部に髪の毛が降りかかってくる。ドライヤもヘアアイロンも効きにくくなった。アッシュ系を入れたら黄味だけ残ってくたびれた黄緑色になってしまい、家族からはヨーキィ――ヨークシャテリアの愛称である――と呼ばれ、あろうことかそんな頭でも塾講師のアルバイトをしていたので、生徒たちからは陰で「金髪先生」と呼ばれていた。
結局、社会人n年目でもう一度だけブリーチに手を、いや毛を染めてしまうのだがそれはまた別のお話で、大学に守られ囲まれている今のうちにはちゃめちゃな頭髪をせねば、と意気込んでいたのだった。
19歳の時、バンジージャンプでちゅうを飛んだ。
二十歳はたちまでにすべきことはなにか、きっと令和でも議題になるであろう永遠の謎に果敢かかんにも立ち向かい、友達と出した答えだった。理由はいまいち覚えていないし、多分たいしたことではなかった。というより多分実のある理由なぞなかった。二十歳だから、である。関東で唯一バンジーできる遊園地よみうりランドへみなで赴き、バンジージャンプだけの券を購入し、ひとりずつレッツバンジーした。落ちる前の恐怖や落ちている浮遊感よりも落ちきって上がる際に固定器具が身体に食い込んで痛かった記憶が鮮明に残っている。正直ジェットコースタに乗ったほうが愉快爽快であった。
結局、社会人になってすぐ金にものを言わせ、誓約書にサインしてスカイダイビングをするのだがそれはまた別のお話で、ともかく前も後ろも曖昧な記憶だけれど十代のうちにバンジーで飛んだ、ご立派なステータスだけは手に入れたのだった。

で、バーである。オトナになったらバー。飲むんでなくて、たしなむなんて動詞をお酒に使うのがオトナ。フランチャイズの居酒屋の飲み放題より、一杯いっぱい自分のために作られたカクテルをいただくのだ。きらびやかなネオンを横目にドアでともる筆記体の店名を目がけ、タブレットではなく口頭で注文し、枝豆のかわりにオリーブを、喧騒のかわりにジャズを、ジョッキをつかまずグラスをつまむ。
実態は棚上げするとして、意外と形から入りたがる偏見まみれの人生の中で、初のバーは実家近くの女性マスタが仕切る小さなお店だった。大学卒業後、入社式までの移行期間中の3月。子供でもオトナでもない宙ぶらりんな頃合いに、新卒で地方配属が決まっていたので、なにか粗相そそうをしても後腐れなく去れると踏んで選んだ。
そうそう、偏見だけでは飽き足らず偏食でもあるので、炭酸が飲めないのだ。偏飲ということ。なんて読むのかさておいて、居酒屋のビールやサワーは全滅、飲み放題を頼むと炭酸でないお酒は松竹梅か鏡月か赤玉ポートワインくらい。飲み放題の醍醐味ちゃんぽんもできず、果実酒ロックの鬼リピータと化すのみ。梅酒はいっとう好きなお酒なので梅酒飲み放題と捉えてまったく構わないのだが、炭酸のないお酒が何種類も飲めるのもバーだけだった。余談だが日本酒もここ数年で好きになり、質より量をとることを良しとしていた時代よりも飲めるお酒は増えたのだけれどそれこそまた別のお話で、度数の高いカクテルをじっくり嚙み砕いて飲むのは好き嫌いの多い人間には合っていた。

大好きなバーがある。新宿駅西口からすこし離れ、繁華はんかな装いが減ってきたあたりで、建物沿いに控えめに立てられた看板が目印だ。店名の下にはメニューが貼ってあるのだけど、なんとなくで注文してしまう悪い癖によって、真面目に文字列を追ったことはない。階段を登ってカーテンのかかったドアを思い切って開ければ、蝋燭ろうそくが揺れるカウンタテーブルに脚長の椅子たち、カウンタの向こうにずらりと揃う酒瓶たち、こだわり抜いて集められたジャズの円盤たちが、十人ちょっと座れる広さの空間で、ちゃんと、しっかり、ばっちり「バー」をしている。お客様の話を聞くのがマスタの務めであるところをつい話しすぎてしまうと、ご本人も自覚があるほどに博識で話し好きなマスタと目が合って、いつも同じ言葉をくれる。薄明かりに反射する繊細なグラスの細工、澄んだ底と確かな味わい、背景で鳴る音楽、たまにただよう煙草の香り。非の打ち所がない。
偏見から入ったくせ、カクテルやリキュールの名前は馴染みのないカタカナの連続で一生覚えられないし、オリーブが好きだとわめいていたらどんなに飲み合わせの悪くとも一杯目にオリーブが添えられるようになったし、地に足のつかない椅子ではつい膝から下をぷらぷらさせてしまうし、カウンタでマスタのお話を聞いて手を叩いて爆笑しているし、オトナのバー通いはできていない。今回だって「ブログでバーが好きって文章が書きたくて、タイトルを『え』から始める縛りがあるから『え』から始まるリキュールのカクテルを作ってほしい」と我儘わがまま放題の始末。どこに嗜みなんてものが存在しているのか。ひとしきり好き放題やったあと、勘定を済ませて上機嫌に「また来ます」なんて言って、数か月後にはふらりとやってきて扉を開ける。たくさんのものごとがコンビニエンスになってきているいま、手間と腕によりをかけた丁寧な手仕事を気取って味わえるのは、オトナの特権ということにしておこう。

初出:同人誌ブログ「写真と文」寄稿 2024/06

カクテルだとミスティアマティーニが一番好きです。日本酒は新政が好きです。

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