右があることは左があることを認めるのと同義である。
殴る行為をすることは殴らない行為があるから成立するのである。
生きることを認めることは死ぬことを認めるこである。
どちらか一方を認めると、二項対立的に認めざるを得ない物事っていうのは往々にしてあり得るものですな。
これはつまり、
片方の事象が存在していれば、もう一方の事象も必ず成立し、存在が認められざるを得ないということ。
と勝手に定義付けます!!!!!!
ということで、今回はこの考え方を用いて、色々なものの存在をこの世界において、強引に認めさせてやろう!という試みです。
さぁ、ついてこい。俺が君の手を取ろう。えらそうに。
まずはジャブからいくぜ。
我々人間は何かをしている。スマホを見たり、壁の文字を読んでいたり、話したり、飲んだり、歩いたり…。
つまり我々は何か行為をする人間を想定できている。
ということは
逆に何もしていない、そこにいるだけのただの人間を想定できるのでは?
ただそこにいるだけの人間。これ難しいと思います。

ぼーっとしているようでも例えば待ち合わせをしていれば待ち合わせをしている人だし、休憩室などでぼーっとしていても休んでいる人になってしまう。
だから、あえて積極的になんの属性も持たない、ただの人になろうとするのは意外と難しいし、意識しないとできないかも。
でも、そういう、わざと何もしていない人になるのもやってみると面白そうだし、意外と誰もそんな人はいなくて特別感が抱けるかも!
では次。
この世界には時間がありますね。刻一刻と、刻まれていっています。
ということは、
時間がないということも想定、存在できなければならないのでは?
うーーーーーーーーーーーーーーーーーむ。
時間がないってなんだ?時がすすまない?そもそも進むとかそういうものがない?
でも、時間に追われることがない?
んんんんんんん?

過去、現在、未来もない。因果関係もない。成長もないし、締め切りなんかもない。
そもそも動きがない?
ということは写真みたいな完全に静止した世界?
・・・
こえーーーーーーーー
まぁ
気を取り直して次!!!!!!!!!!!!
ブログを書く人がいます。
そう、僕みたいな人ですね。
そして残念ながら、それを読んでくれない人、すなわち僕の記事を読まない人がいます。
では!!
裏を返せば、読んでくれる人もいるわけですね。
そう
つまり
いま目を通してくれている、きみたちだぜ!!!
(情熱的なBGM)
ひょえええええええ!!!!!
なんて良いこと!!
つらい時、悲しい時も常にその逆があるんだぜ!!!!!
きっとある。いつかある。
そうやって生きていきたいね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
