お別れと記憶

ないしさ

ふと、昔の友人との別れを思い出しました。

悲しくて、だけど優しい言葉をもらい嬉しくも思い、すごく大切な思い出になったのだと思います。

けれど、よくよく考えてみたんです。

思い出せないんです。

もちろん、大切な言葉とか、大事にしたい言葉は思い出せるけど、どんな会話をしたとかが全然思い出せないなって。

きっと、ありがとうとかさようならとか、そういう類の言葉を発したのだろうけど、思い出せません。

大切であるとか無いとかはあまり関係なく、言葉は捨て置かれるのだなと思いました。言い方は悪いですが。

というか、基本的に昔の出来事って感情ばかり残りますよね。言葉に限らず感情以外の記憶って捨て置かれがちなのかも。

であるならば、大切な人にはどうせなら捨て置きにくいものを与えてやりたいですね。

例えば本とか。

でも、本来は捨て置かれる記憶の位置に物質的なものをおいているだけなので、全然捨て置かれるかもしれないですし、そうあるべきだとも実は思っています。

あくまで一方的に、押し付けがましく与えているだけなのでね。例外はあれど、言葉だってそうです。

一方的に投げつけて、自己陶酔に浸る。

そうで無いものがごく稀に存在していて、そう言ったものが記憶に、感情として、時にその原型を保ちながら残り続ける。

だからこそ、なにか物質的なものをあげる時には注意を払いたいですね。無理矢理にでも記憶に残ってしまうという力がある。

距離感だったり、親しさだったりは不確実で不明確で霞を掴み取るようなものですが、そう言ったところを把握しないとなにか物質的なものを与える行為というのは少々の危険を伴うのかもしれませんね。

そんなことを考えながら、また私の周りに桜の舞う匂いが近づいてきます。