東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花

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髭を伸ばしたいレプリカです。

東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな

菅原道真で有名な短歌ですね。大宰府に左遷されることになり、家を発する際に読んだとされている。

梅の木を擬人化して、匂いを届けてくれや春に咲くことを忘れるなと詠っているのが印象的。

なんかこの歌すごい好きなんですよね。

他人が植物に想いを寄せているのはなぜか尊いと感じるんです。話すこともできないのに語り掛けることに情緒と優しさを感じます。

こうした文章にたくさん触れていく人生でありたいと思っています。

難波人 芦火焚く屋の 煤してあれど 己が妻こそ 常めづらしき

他にも万葉集に載っているこれなんかも好きですね。元々好きなアーティストが歌詞に引用していたところから知ったのですが、この芦火なんて言葉は普通に生きていたら使わないようなものなのに、どこか惹かれるものがある。それはかつて生活をする上で、必要だったものとして当時の人の文化を表す一言でもあるからゆえの魅力なのかもしれない。

あとこの詩にも書かれている煤けた匂いってどこか懐かしくなりませんかね。

私の出身が田舎だからなのかもしれないですが、よく秋の時期になると野焼きをする田んぼがあったため、煤けた香りをかぐとあの田舎の田園風景と乾いた風が脳裏に浮かび上がってくるんですよね。

高校の時はよくあの香りを探して、自転車で田舎を走り回りましたね。

あの時の自分はいつかこの香りを好きな自分を忘れてしまうんじゃないかという恐怖で、大人になっていくことが怖かったんですよね。だから、できる限りたくさんこの香りを浴びて忘れないようにと強く願っていました。もうあの時ほど、煤けた香りになにかを見ることはできなくなってしまいましたが、それでも好きなことは変わりません。もし過去の自分と話せることがあったのなら、今でも好きなことを伝えて安心させてやりたいと思います。

こういうのを感傷と呼ぶのかもしれないですね。社会の大きな流れに揉まれていくうちに忘れてしまわないようにしたいですね。

いつかSFのように記憶をレコードプレイヤーのように再生できる機会が合ったら、溝が無くなるぐらいまで自分のその時の記憶を再生しますね。そういう未来があるかもしれないので、長生きはしてみたいですね。

梅の花も最近はゆっくりとみる機会がなくなりましたね。いつも咲いてからもうそんな時期かと驚いて、散歩をしたいなーなんても思っていたら、みんな散ってしまってまた来年かと諦めてしまう。きっと、小さい頃のほうが花が咲くことに一喜一憂していたと思うんですよね。

それは一年先のことがとても遠くて、一年後の自分が違う人間になってしまうことをわかっていたからなんだと思います。一度訪れたら二度と帰ってこれないRPGの村のように、その場所にずっといないと取り返しのつかなくなるような感覚がある。だけど、時間は進むからその村でやらなければいけないことをできずに体だけ大きくなっていくような気がしてた。

もうその時の自分から見たらおっさんと言われてもおかしくないような体になってしまいましたね。髭は毎日剃らないと人前に出れないし、シャワーも一日サボっただけで死体の様な風貌になりますし、みんな昔はミルクの香りがする子供だったのに悲しいですね。

だけど、短歌を読みたいなんてこの年にならなきゃ思わなかったと思うんで、それを考えるといいのかもしれないです。これからはいろんな人の情緒に触れて、自分の好きなものをより透き通ったものにしていきたいものです。

最後に私の好きな短歌を紹介して終わります。

さびしさは その色としも なかりけり 真木立つ山の 秋の夕暮れ 

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