「世の中はバラ色ではない。実に雑多な色をしているからね」
樋口師匠はこう話すわけだ。

どうも、一本下駄で散歩していた時期があります。れぷりかです。
私は雑多な景色が好きです。
例えば、まっすぐではなく少し曲がった階段、その途中にある手入れされた花壇、さらにその坂の上にある誰も住まなくなったトタン屋根の家。
そういうまとまりがないような場所に懐かしさと愛おしさを覚えます。
きっと雑多なものは、隙が多くあるからなんだと思います。
毅然と整えられて計算されつくしたものは、自分が入り込む隙が無い。
流線形ばかりの建物は、美しすぎて自分がその風景に立った時に馴染むイメージが湧かない。

私は草履が似合いそうな雰囲気の場所を愛している。
フォーマルとかカジュアルとかではなく、礼儀もくそもないような場所が愛おしい。
そこが自分の居場所だと考えている。
この世には煙草が捨ててあったほうが正しいと思える場所がある。
潰れてしまった地下のレトロゲームの階段の途中には、空薬莢みたいな吸殻が捨ててあったほうがその場所として相応しく感じる。

汚れている場所に私の草履は良く似合う。
きっと、それは草履で踏みつける場所には特に敬意も慈しみも感じなくていいと思えるからだ。
いやむしろ、敬意と慈しみを持っているからこそ、相応しい履物でその場所を踏みたくなる。
正しいか、正しくないか、それだけで世の中はできていない。
ほとんどの場所がそれを使う人によって、表情を変えていく。
例えば、公園のベンチは放課後の小学生たちが遊び疲れて休憩したり、夕暮れ時の犬の散歩の途中のおじいちゃんやおばあちゃんが腰を下ろすのも正しいと感じる。
でも、深夜になれば泥酔したサラリーマンがそのベンチで力尽きたり、大学生がバカ騒ぎする会場になったりすることもある。こういった使い方は構わないが、あまり正しいとは私は思わない。
同じ場所でも、使う人や時間帯によって、全く違う表情を見せてくれる。
私は、自分のことをあまり正しい人間だとは思わないから、どちらかと言うと後者の正しくないほうの場所を愛している。

そういう場所に草履は良く似合う。
ところで、話は変わらないのだが、あなたはクーロン城塞を知っているか?

なんて美しんだろう。
ここは今は無くなってしまった。かつて、存在した世界最大級のスラム街。
ごちゃごちゃとしていて、不法移民、違法建築、殺人、麻薬で溢れた魔窟。
【違法建築】という言葉を考えた時に私が思い浮かべるのは、九龍城塞だろう。
私がもし一度だけ過去に戻れるのなら、迷わず九龍城塞が健在だった時代に行く。
自分の目で、この雑多で人の営みが濃密に集まる空間に触れてみたいという夢がある。
九龍城塞は、建築の知識のない素人の住民たちが、城塞内の人口爆発に対応するため、独自に増築を繰り返した結果の産物だ。
この【独自の増築】という言葉が私を愉快にさせる。

かつて存在したこのスラム都市は、一つ一つの建物がお互いに寄りかかることで、九龍城塞は一つの生命体のように息づいていた。
無秩序でいて有機的な空間、独自の常識が浸透しているその空間は、まさしく「建築されたカオス」がそこに鼓動しているようでぞくぞくする。
私はただのスラム街に夢を持ちすぎているのかもしれない。
「誰もがルールを持たず、だからこそ願望や欲望がそのまま都市の形として表現された場所」として、”人という生物”の本質がむき出しになって、ネオンを放って生きているように感じるのだ。

私は大学の頃に、ずっと九龍城塞の資料や動画を漁っていたことがある。
そして知れば知るほど、そのスラム街には秩序があって、生活が続いていることを知る。
城塞内には、自警団が組織され、飲食店や歯医者、雑貨屋など商売が成り立つほど秩序があった。

ただ一つだけ普通の街と違うのは、歯科医も飲食従事者も警察も、誰一人として資格などは持っていないことだ。
歯医者があるということは、人々がその場所での暮らしをその日暮らしではなく、生活の質を向上させようとする意志があるということだ。
九龍城塞にはきっと体温があった。
一度入ったら、迷って出ることが出来なくなるとまで言われた不法の迷宮。
狭い路地の積み重ねは、ひとつひとつが語られなかった物語を秘め、年月共に刻まれたひび割れた壁は、激動の時代に生きた証人。
過酷な現実の中でそれでも生きる者たちの、必死な抵抗と営みのための創造が放つエネルギーは、私の深いところある乱雑なエネルギーの根底を穿つ。
無許可に作られた隙間から差し込むネオンが、その場所に住む人々の苦悩と歓喜、そして生への枯渇と過剰な欲望という複雑な感情が重なりを映し出している。
こうした不完全さこそが、予測不能な偶然性と、自由に溢れた人間性があり、これを見る人々を引き付ける。
「真の美しさは完璧さではなく、欠陥や不完全さにこそ宿る」と語りかけている。

きっと、九龍城塞に草履は良く似合う。
私はある時、友人と捨てられた廃電車を撮りにいったことがある。
そこには歴史によって打ち捨てられたものが、片田舎の草木の中に静かに眠っていた。
あの時はブーツで写真を撮ったけど、あの風景に草履は良く似合うと思う。
雑多な景色は、心をどこかでざわつかせるのに、そこには私の心を住まわせてくれる隙がある。
そういう風景をこれからも愛してきたいと思う。
これが私の生き方になり、人生になっていく。
れぷりかでした。

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