歩くこと。考えること。

れぷりか

いい靴はいい場所に連れてってくれるっていう言葉に疑問を持っている。

果たして本当にいい靴はいい場所に連れてってくれるのか?

もちろん、高級店に入るんだったら高級な革靴を着ている方が入りやすいというのは分かる。

けれど、ことを自信満々に言うやつのいい所っていうのは、鼻持ちならないことが多い。

いい革靴で土の上は歩けねぇだろ。

いい靴っていうのは、自分を制限しない履物のことだ。

ふと思い立って散歩しようとか、草原の中に綺麗な花を見つけた時に、ぱっと泥まみれになっても気にしないような足の拡張機能のような履物のことだ。

名の通ったブランドの靴を履いて、これ見よがしに見せつけて、「いい靴を履くべきだ」なんていうのはナンセンス極まりない。

腐りきった成金根性でみっともない。

って隣に住んでるおじさんが言ってました。 

なかなか尖ったことを言うものですね。

こわいこわい。

私はいい革靴なんかは一足持っておきたいなって思います。

今欲しいのはドクターマーチンのストレートチップがほしいです。

マーチンのブーツはあるんですけどね。

やはり青春時代に甲本ヒロトの歌声に脳を焼かれているから、マーチンを履いて、暴れたくなるものです。

マーチンの8ホールの厚底ブーツを初めて履いた日は、サイケデリックを聴きながら、街なかを酒瓶を片手に歩きましたね。

もしかしたら、私の中の若さというエネルギーが出処を探していたのかもしれません。

よく思い出してみたら、無闇矢鱈に夜歩きばかりしていた気がします。

元々、夜行性の人間ではあるのですが、家に誰も「ただいま」と言ってくれる人間がいないと、好きな時間に外に飛び出せるみたいです。

随分な時間を一人で歩きました。

よく私は歩く時にポッケに手を突っ込むのですが、それは一説によると、前世で誰かと手を繋いでいたことが起因していると言われています。

現世では隣を手を繋いで歩いてくれる人がいないから、寂しさを紛らわさためにポッケに手を入れるという説があります。

授乳離れが深層心理で出来ていないことから、たばこを咥える中年赤ちゃんみたいですね。

まぁどれだけいい靴を履こうと、どれだけ高尚な目的を持って歩こうと、歩くということは、そんなに意味が伴うことでもないとも感じます。

どんな言葉をつけたって、歩くという行為は、あくまで移動の手段でしかないんですから。

ただ歩き続けたら、何か意味がついてくるかもしれないです。

何を言ってるのか分からない人は、とりあえずフォレスト・ガンプを観て、そこら辺を走っててください。

例えば、ニーチェやデカルトなんかの哲学者も歩くのが趣味だったと言います。

ただの散歩好きのおっさんが、小難しいことを考えて、歴史に名前が残るんですから、散歩もバカにできないですね。

さらに言うと、デカルトは「閉じられた部屋で生み出された言葉は信じるに値しない」とまで言っているみたいです。

あれ?デカルトが言ってたんだっけ?

まぁ誰が言ってたなんて権威主義的な考え方はやめましょう。

あなたの悪癖です。直しましょう。

散歩すると色々な考えがぐるぐると出てくるんですよね。

自分が今まで悩んでいた事象の本質が見えて、その事に対して達観した視点を獲得出来るのも、私は歩いている時だと思います。

最近は草履をよく履いて散歩するのですが、その話をするにはここの余白はあまりにも小さすぎるので、やめておきます。

また機会があったら、私の鼻緒愛について語りたいと思います。

れぷりかでした。

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